戦間期③ ワシントン会議

今回は戦間期③ということで、主にワシントン会議について解説していきます。ワシントン会議パリ講和会議に比べるとあまり有名ではない気がしますが、非常に重要な出来事なのでしっかり覚えましょう!

 

 

 

  ワシントン会議アメリカの外交方針の転換点

ワシントン会議

 

ワシントン会議は、1921年アメリカ大統領のハーディングの主導のもと開催されました。この会議では主に太平洋に関する問題が話し合われ、海軍軍備軍縮条約四ヶ国条約九ヶ国条約が結ばれました。また、これらの条約によって成立した国際秩序をワシントン体制といい、ヴェルサイユ体制を支えました。

 

さて、タイトルにもある通りワシントン会議アメリカの外交史において大きなターニングポイントでもありました。では、具体的にどのように外交方針が転換されたのでしょうか?少し考えてみましょう。

 

 

 

まず、パリ講和会議でのアメリカを思い出してみてください。会議を主導する中心的なポジションでしたが、ヴェルサイユ条約には...批准を拒否していましたよね。苦労して設立した国際連盟にも不参加でした。なぜでしょうか?

 

 

 

 

答えは「アメリカは孤立主義を外交方針としていたから」です。

 

 

孤立主義とは、簡単に言ってしまえば

 

「俺(アメリカ)はお前ら(ヨーロッパなど)とは手は組まないしそもそも関わんないから、お前らも俺に手出すなよ」

 

 

という(実社会でやれば友だちを失うこと必至の)外交方針のことです。この方針によってアメリカは外国との関わりを極端に避けてきました。

 

 

しかし、第一次世界大戦によってアメリカは国際社会において重要なポジションを占めることになります。債権国(他国にお金を貸している状態の国)となり、ドイツの賠償問題にも関わっていたので、世界のトップという責任が自然に発生したのです。

 

そんな中当選したハーディングはウィルソンの国際協調を否定し、ワシントン会議を開催しました。ここでアメリカの孤立主義は薄れ、積極外交へ転換されていきます。

ハーディング

 

 

 

  アメリカの目的=日本の太平洋での拡大阻止

 

 

 

21カ条の要求などによって中国、太平洋で着々と勢力を拡大する日本は、同じく太平洋進出を狙うアメリカにとって脅威でした。そこでワシントン会議では、アメリカが太平洋で優位になるような条約を次々に結んでいきます。

この目線でワシントン会議を見れば、丸暗記よりもはるかに記憶に定着しやすいですよ!!

 

海軍軍縮条約…米・英・日・仏・伊

→主力艦(戦艦+空母)の建造を10年間禁止、保有比率制限

→日本の海軍力拡大阻止に成功   ※イギリス→大幅な弱体化

 

四ヶ国条約…日・米・英・仏

→太平洋の現状維持、日英同盟の破棄

 

九ヶ国条約…日・米・英・仏・伊・蘭・葡・ベルギー・中国

→中国の1.主権尊重 2.領土保全 3.門戸開放 4.機会均等  日本の山東半島返還

→日本の中国での勢力拡大阻止

 

 

 

 

どうでしょうか。どの条約からも日本の力を削ぐというアメリカの狙いがひしひしと感じられますよね。これ以降日本とアメリカは次第に対立していくので、太平洋戦争への布石はこの時から打たれ始めたともいえるでしょう。

 

 

今回は以上となります。ここまで読んでいただきありがとうございました!

次回もお楽しみに!