戦間期⑦ イタリアとドイツ Part.B

今回は戦間期⑦ということで、主にドイツについて解説していきます。特にヒトラーナチスについては、常識としてある程度知っておく必要があるので、しっかりと理解しましょう!

演説するヒトラー 動画で見たい方はこちらから

 

 

 

  ①賠償金1320億金マルク

ドイツの10億マルク紙幣

 

 

以前にも書きましたが、ドイツに要求された賠償金は想像を絶するものでした。1320億金マルクという額は、当時のドイツの国家予算の20年分とも30年分ともいわれています。

 

当然これほどの大金があるわけもないドイツではハイパーインフレーションが発生し経済は崩壊、国民の生活は非常に厳しいものとなりました。

 

 

ここでドイツに助け舟を出したのは、アメリカでした。実はアメリカはイギリス・フランスやフランスに多額のお金を貸していたので

 

ドイツが賠償金を払えない→イギリス・フランスからお金が返ってこない

 

となり、損害を被る恐れがありました。そこでアメリカはドーズ案で年額の減額を、ヤング案で賠償金の大幅減額(当初の1/4)をそれぞれ提案し、ドイツの賠償金の支払いは現実的なものになったかに思われました。

 

 

 

  世界恐慌とナチ党の台頭

ナチ党のシンボル、ハーケンクロイツ

 

 

しかし1929年に世界恐慌がおきると、状況は一変します。ようやく復興の兆しを見せていたドイツ経済は大打撃を受け、600万人もの失業者がでました。

 

こうした状況で台頭してきたのが、アドルフ・ヒトラー率いるナチ党(国家社会主義ドイツ労働者党)です。ちなみに「国家社会主義」とありますが、これは「社会主義」とは関係なく、むしろナチ党は社会主義政党だったので注意しましょう。

 

 

国家社会主義」の本質は

 

国家>国民

 

というファシズムそのものです。ナチ党は、「ドイツ民族の優位性(ユダヤ人排斥)」「ヴェルサイユ体制の打倒」などを掲げ、強いドイツを目指しました。

 

 

カリスマ的指導者を求めていたドイツ国民はナチ党を支持し、ついに1932年の国会議員選挙でナチ党は第一党となります。そしてナチ党党首のヒトラーは、ヒンデンブルク大統領から首相に任命されます。

 

するとまずヒトラーは、国会議事堂を放火しそれをドイツ共産党のせいにして彼らを弾圧しました。また全権委任法を成立させ(33)ナチ党の一党独裁体制を確立しました。また、公共事業を行うことによって失業者の救済をはかり、国民から熱烈な支持を集めました。

 

外交面ではヴェルサイユ体制打破のために国際連盟の脱退(33)や再軍備宣言(35)、36年にはラインラント常駐(注:ラインラントは非武装地帯のため軍隊の派遣は禁止されていた)などを行いましたが、これに対してイギリスやフランスはドイツを刺激することを恐れて、宥和(ゆうわ)政策をとりました。

 

 

  第二次世界大戦

独ソ不可侵条約の風刺画

 

しかし、こうしたドイツの身勝手な行動を黙認する英仏の態度は、かえってヒトラーの勢いを増すこととなります。ドイツによるオーストリア併合(38)やズデーテン地方の割譲要求(38)などのとんでもない行動があっさりと成功したことからもそれは明らかでしょう。

 

さて、前回の記事でも書いた通り、1930年代後半のドイツはベルリン=ローマ枢軸日独伊三国軍事同盟によって同じくファシズムを掲げるイタリアや日本と接近しました。そして独ソ不可侵条約(39)を締結したヒトラーは、ついにポーランドに侵攻し、これを機に第二次世界大戦がはじまります。人類は未曾有の惨劇を経験することとなったのです。

 

 

 

 

今回は以上となります。

いかがだったでしょうか。第一次世界大戦の反省から何とかして戦争を防ぎたいという英仏の思いが裏目に出てしまったのは何ともやるせない気持ちになりますね。

 

さて、次回は少し時代をさかのぼって中国をみていきます。この時代の中国史は苦手としている人が多いので次回の記事もぜひ読んでください!

 

それでは、最後までお読みいただきありがとうございました!