戦間期⑪ 東南アジアと朝鮮

今回は戦間期⑪ということで、東南アジアと朝鮮を見ていきます。

過去一マニアックかもしれませんが、甘く見ずにしっかり押さえておきましょう!

(今まででいちばん個人的趣味が入った記事かもしれませんがご容赦を)

 

 

  ①東南アジアの民族運動

東南アジアで押さえておきたい国は、A.インドネシア B.ベトナム の2つです。これらのは戦後史でも登場するので、しっかり押さえておきましょう!

 

 

 A.インドネシア

 

まずはインドネシアです。意外かもしれませんが、実は当時のインドネシアはオランダの植民地支配を受けていました。

 

そんな中1920年インドネシア共産党(アジア初の共産党)が結成されると、彼らは独立を目指して戦いました。しかし、当然ですが、オランダ当局から厳しい弾圧を受け、1924年の反乱にもついに失敗し、ほとんど壊滅してしまいました。

 

その後しばらくして登場したのが、おなじみ、スカルノです。スカルノは、インドネシア国民党を結成し、ムルデカ(独立)を合言葉に植民地政府へ協力しないよう民衆に呼びかけました。

この運動はインドネシア全土に拡大し、1949年に独立という形で実を結びました。

 

 

 B.ベトナム

1930年、ホー=チ=ミンなどの手によってベトナム共産党インドシナ共産党)が結成されました。彼らはベトナム統一同盟の中心として、第二次世界大戦後、ベトナム民主共和国の独立を達成し、インドシナ戦争(1946~54)ではフランスと戦い、勝利しました。

 

「これだけ?」という声が聞こえてくるようですが、歴史総合の段階ではこれでも十分すぎるくらいです。

 

しかしこの時代の東南アジア史は本当にめちゃくちゃ面白いので、ぜひ自分でもいろいろ調べてみてください!

 

+α コミンテルンとアジアの共産党 

 

さて、ここまでの記事を読んでこう思われた方がいるのではないでしょうか?

 

 

この時代のアジアって共産党めちゃくちゃ多くない…?

 

 

そうですよね。中国共産党インドネシア共産党、それからベトナム共産党…    そういえば日本でも1922年に日本共産党が結成されています。

 

では、どうしてたくさんの共産党がこの時期に世界各地(東南アジアとは事情が違いますが、イギリスやフランス、イタリアでも共産党は結成されていました)で誕生したのでしょうか?

 

 

 

 

さて正解発表です、ずばり答えは

    

コミンテルンの指導があった

 

からです。

 

 

詳しくは、次の記事「ロシア革命ソ連」を読んでほしいのですが、コミンテルン(別名:第三インターナショナル)は、1919年に結成された、世界の共産運動を支援する組織です。

 

当初の目的は革命の「指導」だったのですが、ことごとく失敗したため、次第に「民族運動の支援」や「反ファシズム人民統一戦線の結成支援」などの「支援」の色が強くなりました。

 

だから1920年代から30年代にかけて、東南アジアではコミンテルンが植民地からの独立を目指している人たちを「支援」するという形で、共産党が次々と結成されたのです。

 

 

  ②朝鮮の三・一独立運動

三・一独立運動レリーフ

 

 

韓国併合から9年後の1919年、ウィルソンによって発表された「民族自決」は、それまで西洋列強からの植民地支配で苦しんできたアジアの人々にとって希望の光でした。

 

それは朝鮮の人々にとっても例外ではなく、1919年3月1日、数千人の学生や民衆が京城の公園に集まって「朝鮮独立万歳!」を叫びました。三・一独立運動です。

 

当然ながら朝鮮総督府や軍、警察はすぐさま集会を弾圧しましたが、運動の拡大を抑えることはできませんした。けっかとして数千人もの死者と5万超の逮捕者を出す一大事件へと発展し、このことは日本政府に大きな衝撃を与えました。

 

ですのでこの事件の後から日本の朝鮮統治の方針は、力で人々を押さえつける武断政治から、穏健な文治政治へと転換されたのです。

 

 

    

武断政治から文化政治へ

 

 

 

 

 

今回は以上となります。                            最後までお読みいただき、ありがとうございました!