戦間期① 戦間期とは?
はじめまして。Gen.Wisdomです。
これからこのブログで歴史総合の解説を行っていきます。 まだまだ拙い文章、拙い記事ですが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。 よろしくお願いします!
さて、記念すべき一回目の今回は、戦間期①ということで、まずは戦間期がどのような時代だったのかについてざっくりと紹介しようと思います。
戦間期という言葉自体がそれほどメジャーではなく、初めて聞いたという方も多いのではないでしょうか?もしそうなら、読み進める前に、どの時代のことを指しているのか予想してみてくださいね。
では、はじめましょう!
戦間期とは?
戦間期とは、文字通り
すなわち1919年(=ヴェルサイユ条約が結ばれた年)から1939年(=ドイツがポーランドを侵攻した年)の20年間を指します。
第一次世界大戦は、人類が歴史上初めて経験した世界中を巻き込んだ戦争でした。
毒ガスや戦車、潜水艦、飛行機などといった新兵器が使用されたことや、塹壕戦の膠着(こうちゃく)により、大量の犠牲者が生み出され総犠牲者数(兵士+一般人)は1,700万人超ともいわれています。
また、男性だけでなく女性や子供までもが戦争への協力を求められた総力戦でもありました。ですので参戦国にとっては、まさしく国家の命運をかけた命懸けの戦いだったのです。
コラム:フリッツ・ハーバーと毒ガス
フリッツ・ハーバーは、空気中の窒素からアンモニアを生成するハーバー・ボッシュ
法の発見によりノーベル化学賞を受賞した、ドイツの科学者です。
それと同時に毒ガス研究の第一人者でもありました。
ハーバーは
「毒ガスの研究、そして実用化こそが戦争を早く終わらせて、多くの人命を救う素晴らしい方法だ」
と信じていました。
そして妻で同じく科学者のクララの自殺(毒ガス研究への抗議か、夫の不倫が原因かは分かっていません)にも関わらず、ハーバーは研究を続けます。
第一次世界大戦に敗戦し経済的に苦しくなったドイツで、それでもハーバーは研究をつ続けました。
しかし、歴史は無情でした。
「水晶の夜」事件(気になった方は調べてみてください)
迫害は、生涯をドイツのために捧げたハーバーにも及びました。ハーバーはユダヤ人だったのです。
ドイツから追われるようにして去ったハーバーは、失意のうちに隣国スイスで息を引き取りました。65歳でした。
まとめ
戦間期は、ややこしい時代です。各国の思惑が複雑に絡み合い、情勢は目まぐるしく変化します。この時代を理解するためには、まず戦間期がどのような時代なのか捉えましょう。
戦間期はひとことでいうと
です。
この言葉の意味はこれからの記事を読めばわかります。とりあえず今は、「戦間期って憎しみ多かったんだなー」とだけ覚えておいてください。
また、以下の3つのポイントを押さえておくと、流れが把握しやすいので覚えておいてください。
①パリ講和会議はヨーロッパ、ワシントン会議は太平洋に関する会議
②アメリカの発展→世界の中心に ☆イギリスの衰退
③ドイツ・イタリアで国民の不満からファシズムが台頭
→第二次世界大戦へ...
今回は以上となります。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
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